2026/06/13 10:15

いつも隣の芝生でサッカーボールを追いかける毎日でした。裏の竹林も、目の前の田んぼも、気づけば「当たり前の風景」に変わっていて、私はひたすらサッカーにのめり込んでいました。

それでも季節の節目には、自然との関わりはありました。

春になると裏山へ筍を取りに行きます。
竹林を歩いていると、筍が少し出ていて何本か掘る。

田舎道を歩くとタラの芽も顔を出していて、思わず手を伸ばす。でもタラの木にトゲトゲがあって、毎回あちこちに切り傷を作りながら痛い思いをしながら帰ってくる。それでも採れたての筍やタラの芽天ぷらや混ぜごはんにして食べるのが美味しかった!

その頃、おじいちゃんはいつも畑で管理機に乗りながら作業している記憶しかありません。

いつもどんな時も地道にコツコツと働いてる記憶があります。

芝生を整え、メロンやスイカを育て、田んぼでお米を作る。その傍らで、おじいちゃんはよくこんなことを言っていました。

「足を踏み入れた時の土の感触で、いい土かどうか分かるんだ」

「雷が鳴った後に作業すると、野菜はよく育つぞ」

「雨の後、水の染み込み方を見れば土の良さが分かる」

当時の私は「ふーん」としか思っていませんでした。サッカーのことで頭がいっぱいで、おじいちゃんの言葉をちゃんと受け取ろうとしていなかった。

今となっては、それがとてつもなく悔やまれます。

自分が農家として土と向き合うようになってから、ふとした瞬間におじいちゃんの言葉が蒂ることがあります。「あ、あの時こういうことを言ってたんだ」と。でも断片的にしか残っていない。もっと深く聴いておけばよかった、色々質問すれば良かった!そう思うことが、今でも何度もあります。

でも後悔先に立たず!

こたつとみかんと、筱根駅伝と

おじいちゃんの怒った顔を見たことがない人でした。

いつも物柔らかな笑顔で、毎日勤勉に、黙々と働いている。そんな人でした。

年末年始になると、おじいちゃんと二人でこたつに入って箱根駅伝を見るのが定番でした。みかんを食べながらテレビを見ているうちに、いつの間にか二人とも寝てしまう。おじいちゃんは日本酒を片手にほろ酔いで横になっていて、おばあちゃんに毎年怒られていました。

一方、おばあちゃんはよく戦争の話をしてくれました。戦後の苦しい時代のこと。和革の食べ物がなかった時代のこと。「お米一粒も残さず食べなさい」と、いつも正座させられて聞かされました。怒られているというより、大切なことを伝えようとしてくれていたのだと、今なら分かります。

おじいちゃんがどんな思いで畑んぼでお米を作ったのか。その重みを、子どもの私は知らなかった。

次回は、おじいちゃんがもっととてつなく多くの人に感謝されていた、ことの話をします。

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