2026/06/11 10:57
れんこん農家になるまで②〜おじいちゃんが繋いでくれた縁〜
農業を始めてから、ずっと忘れられない出来事があります。
れんこん農家として地元に戻り、おじいちゃんが耕していた田んぼを借りてれんこんを育てたい——そう思って故郷に帰ったとき、田んぼがあったはずの場所は、小学生の時に田んぼでカエルやザリガニを取ったり、近くでクワガタやカブトムシを取った栗の木林はすべて住宅街に変わっていました。都市開発が進んでいたのです。
小さい時の思い出の場所がなくなることに悲しさを感じつつ、近くで田んぼを貸してもらえないかと、地元の農家さんを一軒一軒訪ね歩きました。
どこへ行っても、私のことを知っている人はいませんでした。当然です。長年地元を離れていたのですから。
ところが、苗字を名乗った瞬間に空気が変わりました。
「どこの孫だ?」
おじいちゃんの名前を伝えると、みなさんすぐに分かってくれました。そして「上がれ上がれ」とお茶を出してくださりながら、おじいちゃんとの思い出を語ってくれたのです。
おじいちゃんは当時七十代。訪ねた農家さんたちは五十〜六十代で、何十歳も年が離れていました。それでも全員が口を揃えて言うのです。
「困った時にいつでも助けてくれた」「機械を貸してくれた」「深夜でも倉庫を開けて道具を出してくれた」
私はそのおじいちゃんの姿を、一度も見たことがありませんでした。孫の前ではいつもこたつでみかんを食べたり、正月に箱根駅伝を見ながら焼酎を飲んでうとうとしてこたつで寝てるからおばあちゃんに怒られているおじいちゃんしか知らなかった。
話は逸れますが、そんなおばあちゃんはおじいちゃんのこと怒ってばかりのように見えますが、おじいちゃんは戦争に行って来て生き延びてきたんだ、だから今はお米を食べれるのはありがたいことだと、米一粒も残すなと正座しながら常々話していました。
話は戻りますが、そんな近所の農家が頭を下げながら「本当にお世話になった」と言ってくださる姿を見て、私は言葉が出なくなりました。
そしてある方が、こう言ってくださいました。
「おじいちゃんのように、亡くなった後も人から感謝される人間になりなさい」
この言葉は今でも、私の中に深く刻まれています。
人から感謝される人間になりたい。人のお役に立てる仕事をしたい。れんこんというものを通して、そういう生き方ができるならこんなに嬉しいことはない——農家としての原点は、実はこの瞬間にあったのかもしれません。
次回は、おじいちゃんがもうひとつ繋いでくれた、不思議な「縁」の話をします。